裸のキッス

サミュエル・フラー、1964。コンスタンス・タワーズ、ジャズ、ハンドバッグ、スキンヘッド。それらが織りなすオープニング・シーンの強烈さは、映画の歴史に燦然と輝く金字塔といってもいいだろう。この映画はその衝撃に尽きるいってもいいすぎじゃない。でもそれだけでは少々もったいない気もする。素晴らしいのが光と影の演出と、人物のアップが常に不穏さをはらんでいるところだ。主観ショットも忘れてはいけない。人物のアップは計算され尽くしている不穏さではなく、顔面とカメラの物理的な距離の近さなど様々な要因も考えられる。とにかく顔面アップの不穏さは、明確な演出的意図を持っていない場合も多いように見受けられた。そういう顔が画面いっぱいにひろがるとき、圧倒的な強度を持つことになるのだと思う。この映画がユニークである理由のひとつは、語っていないに顔たちによる語りという部分にあると思う。それにより、結果的にかどうかはわからないが、この映画の作家的な側面が見事に表出している。もちろんローバジェットや時代の状況もこの映画をユニークなものにしている。映画では歌や縄跳びや乳母車やコンスタンス・タワーズの暴力といった反復が多用される。これらの反復は物語とも密接につながっている。ただ物語のほうは、イマイチとまではいわないが突出してはいなかった。衝撃的オープニングから光と影と顔面があり、ほどよいところで衝撃的オープニングが反復され、見せ場の殺しはあっさりというのがよかった。95点。